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広島地方裁判所呉支部 昭和33年(ワ)24号 判決 1961年10月02日

原告

折川静人

被告

柴田天一郎

外一名

主文

被告等は各自原告に対し金一五万円及びこれに対する昭和三五年五月一七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを七分しその六を被告等の連帯負担、その余を原告の負担とする。

この判決は第一項に限り原告において被告等に対し各金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告等は各自原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和三五年五月一七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の連帯負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として

一、被告柴田天一郎は自動車修理業を営む者であり、被告岸田進は昭和三一年九月より昭和三二年一二月末日まで被告柴田に雇傭せられて自動車修理の業務に従事していた者である。

二、被告岸田進は昭和三二年六月一〇日午後三時頃被告柴田の営業である自動三輪車の修理に赴くため軽自動車(広は五四五六号)を運転し呉市仁方町方面より同市広町方面に通じる道路(二級国道)上を時速三〇粁で西進し同市広町一一、二九五番地岡田正人方前交叉点東側にさしかかつた。右交叉点西北側(進行方向に向つて右側)には国鉄バスの白石停留所であり、当時同市仁方町方面行の国鉄バスが同停留所に停車していたが、交叉点西南側(進行方向に向つて左側)の前記岡田正人方はバス乗車切符売場になつていたため右バスに乗車しようとする者が何時同人方前道路を横断するかも知れないからかかる場合自動車運転者としては警笛を吹鳴して除行しながら前方並びに左右を注視し道路を横断する人車の有無を確かめ交通の安全を確認して進行すべき注意義務があるのに、被告岸田はこれらの義務を怠つて漫然同時速をもつて進行し原告が岡田正人方でバス乗車切符を買い前記停車中のバスに乗車しようとして同人方前道路上を横断するのを前方約五米九〇糎に接近して初めて発見し狼狽のため急停車の措置をとることができず(仮りに急停車の措置をとつたとしても時期が既に遅かつたため)、自己の運転する前記軽自動車前部左側バンバーを原告に衝突させて原告をその場に転倒せしめ、因つて原告に骨盤骨折、頭部挫創等の傷害を蒙らせた。

三、原告は即日呉市広町中国労災病院に入院し同年六月二五日まで入院加療を受け、更に同年六月二五日より同年八月一四日まで広島市大手町土谷病院に転入院して加療を受け、退院後は前記土谷病院に通院して加療を受けた。尚、この外、医師のすすめによりマツサージ療法を受ける等極力手当を加えたにかかわらず全治するに至らず後胎症を存しその労働能力をも喪失するに至つた。

四、右事故は被告岸田が注意義務を怠り被告柴田の事業の執行につき生ぜしめたものであるから被告岸田は勿論、被告柴田も被告岸田と共に原告が右事故によつて蒙つた物的及び精神的損害を賠償すべき義務がある。

五(一)、原告は本件事故に因り左記合計金一七万二、六八八円を支出した。

(1) 入院料及び治療費(附随費用を含む)

原告は前記中国労災病院及び土谷病院における入院加療につき入院料及び治療費金七万八、六九八円、特別室使用料金三,〇〇〇円附添人の寝具料金七五〇円、家族親族との連絡に使用した電話使用料金二三〇円、診断書作成料金五〇円、入院中の栄養飲食費金一、九五〇円、入院中の木炭購入費金九〇〇円、中国労災病院から土谷病院に転入院した際の自動車代金一、三三〇円、土谷病院から退院して帰宅する際の自動車代金二、〇〇〇円、昭和三二年八月一五日から同年一二月一七日まで土谷病院に通院した際の薬代金三、七五〇円合計金九万二、六五八円を支出した。

(2) マツサージ治療費

原告は土谷病院において昭和三二年一〇月より同年一二月まで計一二回マッサージ治療を受け、その代金六〇〇円、訴外大野某から同年八月一五日より同年一〇月三日まで計五〇回マツサージ治療を受け、その代金一万円(往診料を含む)、訴外丸山某から同年一二月二九日より翌三三年三月三一日まで計九八回マツサージ治療を受け、その代金七、八〇〇円合計一万八、四〇〇円を支出した。

(3) 家政婦及び附添婦雇入費

原告は原告の入院中妻サカへ、三女長子の看護を受けたがその際原告宅が留守となるため昭和三二年六月一一日から同年八月一四日まで雇入れた家政婦の賃金、食費等金一万三、五六〇円及び原告入院中原告のため雇入れた附添婦の賃金、食費等金一万一、四四五円右合計金二万五、〇〇五円を支出した。

(4) 治療用品購入費

原告は前記入院中治療に関し氷枕一個、寝巻二枚、便器一個、防水布二枚の他氷、石鹸、塵紙等を購入しその代金合計金四、五一五円を支出した。

(5) 交通費

原告は原告が中国労災病院に入院中原告の看護のため家族が呉市仁方町より同市広町の同病院に通う際使用したバス、ハイヤー代金六、三四〇円及び原告が土谷病院に入院中及び通院中、家族が看護及び附添として呉市仁方町より広島市大手町の同病院まで通うた際使用したバス、ハイヤー代金一九、七五〇円、合計金二万六、〇九〇円を支出した。

(6) 医師等に対する謝礼

原告は医師三名に対し金四、三五〇円、看護婦に対し金一、五五〇円、マツサージ師に対し金一二〇円、合計金六、〇二〇円の謝礼をした。

(二)  原告は本件事故による労働能力喪失のため左記の得べかりし利益を喪失した。即ち原告は昭和二三年から土木建築請負業を営む外に自らも大工職人として働いていた者でこれらの一個年の収入は少なくとも金五六万九、〇〇〇円(昭和二八年から同三〇年まで平均年収)を下らないから、原告一個年の生活費を金六万円としこれを控除した金五〇万九、〇〇〇円が原告の一個年の得べかりし利益となるところ、原告は本件事故当時年令満六三年六月の極めて健康な男子であり第九回生命表によると原告の平均余命は一二年であるから、本件事故がなければ原告は少なくとも爾後五年間は前記業務に従事して金二五四万五、〇〇〇円の利益を得ることが出来たのに、本件事故によりその労働能力を喪失したため同額の利益を喪失するにいたつた。右金額は年五分の割合による中間利息をホフマン式計算によつて控除して本件事故発生日の金額に換算すると金二〇三万六、〇〇〇円となる。

(三)  ところで原告は既に本件事故により自動車損害賠償保障法に基づく保険金一〇万円を受領した外、被告柴田より昭和三二年七月六日見舞金三万円を受領したから右合計一三万円を前記(一)(二)の合計金二二〇万八、六八八円から控除した残額金二〇七万八、六八八円が原告の被告等より賠償をうくべき物的損害である。

(四)  原告は本件事故により肉体上及び精神上多大の苦痛を蒙つたので慰藉料として金二〇万円の支払を求め得べきものである。

六、よつて原告は本訴において前記物的損害の内金八〇万円と右慰藉料金二〇万円及びこれらに対する本件不法行為後である昭和三五年五月一七日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べ、被告等主張の抗弁事実については前記のとおり合計金一三万円を受けとつたことはあるが原告と被告等との間に右一三万円の他原告は何等損害金の請求をしない旨の和解が成立したとの点は否認する。被告等が右和解の成立した日時と主張する昭和三二年七月六日当時は原告はまだ意識不明の状態にあつたから原告が右の如き和解をするはずがない。仮に原告の妻サカへ等と原告両名との間に右の如き和解がなされたとしても原告はサカへ等に原告を代理する権限を与えたことは全然ないから右和解は原告に対して何等の効力もないと述べた。(立証省略)

被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張事実中第一項は認める。第二項中原告主張の日時場所で被告岸田の運転する軽自動車(広は五四五六号)が原告に衝突しそのため原告が負傷(その詳細は知らない)した事実は認めるが、本件事故は被告岸田の過失により発生したものではない。即ち被告岸田は制限時速(四〇粁)内である時速二五粁ないし三〇粁で前方並びに左右の安全を確認しながら進行したのに原告が岡田正人方店舗内から既に発車しつつあつた国鉄バスに向つて手をあげながら道路左右の安全を確認することなく、直ちに急制動を施しても衝突を避け得ない被告岸田の前方約六米の道路上に飛出してきたため右事故の発生をみるに至つたものである。従つて右事故は原告の右のような一方的な過失に基因して発生したもので被告岸田には何等過失はない。第三項中原告が中国労災病院に入院しその後土谷病院に転入院したことは認めるがその詳細は知らない。第五項中損害額は争う。原告の職業は知らないと述べ、抗弁として、仮に被告両名に損害賠償の責任があるとしても昭和三二年七月六日被告両名と原告の代理人である原告の妻サカへ及び原告の次男吉澄との間に原告は自動車損害賠償保障法に基づく保険金一〇万円を受領する外、被告柴田から金三万円の交付を受け、その余の賠償請求をしない旨の和解が成立し、原告は右の金員の全額を既に受領したから原告の本訴請求は失当である。仮に右主張が理由ないとしても本件事故発生については原告にも前記の如き過失があつたから損害賠償については過失相殺さるべきものであると述べた。(立証省略)

理由

一、原告主張の日時場所において被告岸田の運転する軽自動車(広は五四五六号)が原告に衝突し、そのため原告が負傷した事実は当事者に争がない。しかして証人折川長子(第一回)の証言により成立を認め得る甲第八号証の一及び証人小坂昭の証言により成立を認め得る甲第三号証並びに甲第八号証の二によると右負傷は頭部、右股関節部、両上下肢、左前胸部擦過傷、骨盤骨折、頭蓋骨骨折、頭部挫創(脳挫創)であつたことを認めることができるる。

二、そこで、右衝突事故が被告岸田の過失に起因するものであるかどうかにつき審べてみるのに、成立に争いない甲第二号証の一ないし三、同第四号証、同第五号証の一、二、同第六号証(後記措信しない部分を除く。)に証人横村清、同岡田シズノ、同平山春三、同下原盛木の各証言及び被告本人岸田進の尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)並に現場検証の結果を綜合すると、被告岸田は後部荷台に訴外藤本和彦を同乗させ被告柴田所有の前記軽自動車を運転して呉市仁方町から同市阿賀町に通ずる国道上を時速約三〇粁で西進し岡田正人方前交叉点の東方約五〇米の地点で右交叉点西北側の白石バス停留所に仁方町方面行国鉄バスが停車しているのを目撃したが、右バスは既に乗客も降りてバス車掌が乗降口の扉を閉め発車しようとしているし附近路上にも人影がなかつたので警笛を吹鳴しないで同時速のまま同交叉点を通過しようとしたところ、右岡田方店舗内から同店舗前通路の左右の安全を確認せず同道路を横断して停車中の右バスに乗車しようとして走り出た原告を前方約六米の地点で認めたが狼狽のため急停車の措置をとることもできず、そのまま軽自動車左側バンバーを原告に衝突させて同人をその場に転倒させたこと。右衝突地点は原告が走り出た岡田方店舗出入口から北方約二米八〇糎、道路南端から約二米四三糎道路中央部寄りの地点であり停車中の右バスの運転席後方車体の側方路上であること。右国道は本件事故現場より西方約一五〇〇米は見通し可能な平坦路であるが、見通し可能な東方約六五米の地点までは七ないし八度の傾斜の登り坂となつていることがいずれも認められ、右認定に反する甲第五号証の三、同第六号証の各記載、被告本人岸田進の供述はいずれも前掲各証拠に照らして措信し難い。右認定のような場合、停車中のバスに乗車しようとする者が突如として路上に飛び出してくることはよくあることであるから、自動車を運転する者には速度を減じて除行しいつでも急停車又は方向転換のできるようにして進行すべき注意義務があるものというべく、右事故は被告岸田が右注意義務を怠つたため発生するに至つたものと認めるのが相当である。もつとも右事故発生に際し原告が道路の左右の安全を確認しないで道路上に漫然と走り出たこと前認定のとおりであるからこの点において原告にもまた過失があるものといわなければならない。

三、次に被告岸田が自動車修理業を営む被告柴田に雇傭せられて自動車修理の業務に従事していたことは当事者間に争がなく、前掲甲第四号証に被告本人岸田進の尋問の結果を綜合すれば被告岸田は被告柴田の被用者として自動三輪車の修理のため呉市阿賀町に赴く途中本件事故を惹き起したことを認めるに足り、右認定を左右するに足る証拠はないから右事故は被告柴田の事業の執行について発生したものであること明らかである。

してみると、被告岸田は不法行為者として又被告柴田は使用者としていずれも原告に対し原告が右事故により蒙つた物的及び精神的損害を賠償する責に任じなければならない。

四、ところで被告等は昭和三二年七月六日原告の代理人である原告の妻サカへ、原告の次男吉澄との間に原告は自動車損害賠償保障法に基づく保険金一〇万円を受領する外、被告柴田から金三万円の交付を受け、その余の賠償請求をしない旨の和解が成立した旨抗争するところ、乙第一、二号証の各一、二(示談書)によれば本件事故について原告と被告柴田間において被告等主張のとおり円満解決した旨の記載があり且つ右示談書には原告氏名の記載及び被告所有印顆の押捺があるけれども、証人山本慧、同小坂昭、同折川サカへ(第一回)の各証言に原告本人尋問の結果を綜合すると、原告の次男吉澄は昭和三二年七月初頃本件事故による負傷のため意識混濁の状態にあつた原告に無断で本件についての示談の交渉を友人の訴外山本慧に依頼した結果、その頃被告柴田において見舞金三万円(損害金の一部)を支払う旨を約するに至り、同月六日被告柴田は現金三万円を原告宅において原告の妻サカへに手交し、更にその二、三日後、示談書と題する書面三通(乙第一、二号の各一、二はその一部であつて、当時第一号証の一と同号証の二及び第二号証の一と同号証の二はそれぞれ符合して一個の書面となつていた)を原告宅に持参し、これらに右サカへが原告の承諾を得ることなく原告の氏名を記載し原告所有印顆を押捺して被告柴田に交付したことが認められ、右認定に反する被告本人柴田の供述は措信しない。してみると、前掲乙第一、二号証の各一、二は被告主張事実を肯認する資料となし得ないものであり、他に右主張を認めるに足る証拠はないから、被告等の右主張は採用できない。

五、そこで原告主張の物的損害額について按ずるに、証人折川長子(第一、二回)、同折川サカへ(第一、二回)の各証言に証人折川長子(第一、二回)の証言により成立の認められる甲第九ないし第一五号証、第一六号証の一、二、証人折川サカへ(第一、二回)の証言により成立の認められる甲第一七号証の一、二を綜合すると原告主張の第五項(一)記載のとおり原告が本件事故により合計金一七万二、六八八円の支出をしたことが認められ、右支出はいずれも本件事故と相当因果関係があるから本件事故により原告の受けた損害といはなければならない。

原告は家屋建築請負業を営み、且つ大工職人として稼働して一個年五六万九、〇〇〇円の収入があつたと主張するが、右主張に沿う記載のある甲第一八号証の一、二は証人折川長子(第一回)の証言により訴外昭和土建工業株式会社(代表取締役は原告の次男吉澄であり、原告は取締役であつた。)の帳簿であることが認められるから原告主張事実を肯認する証拠となし難く、又この点に関する証人折川サカへ(第一回)の証言及び原告本人尋問の結果はいずれも前記折川長子の証言及び成立に争ない乙第四号証の記載に照らして措信できず、他に原告の右主張事実を肯認し得る資料はない。もつとも原告が大工職人として一日六〇〇円宛の収入を得ていた旨の記載が右甲第一八号証の一、二に見受けられるが、右証拠及び弁論の全趣旨によると右は原告が取締役をしていた前記訴外昭和土建工業株式会社のため働いた際取得した収入であること、同会社は本件事故後間もなくその事業活動を停止していることが認められるから、右の証拠によつては本件事故当時年令六三年六月(成立に争ない甲第一九号証による)の原告が他の勤務先において単なる大工職人として働いて右の如き収入をうけ得るものとは認め難い。従つて右主張を前提としてする原告の得べかりし利益の喪失に関する主張は排斥を免れない。

そうすると原告が本件事故により蒙つた物的損害は金一七万二、六八八円となる。

六、次いで慰藉料額について考えるに、原告は本件事故により前記負傷をした外、証人小坂昭、同折川長子(第一回)の各証言に原告本人尋問の結果を綜合すると原告には記憶力、思考力の減退がみられ後遺症として頭重、腰痛が存し、右股関節部の屈曲が不十分で起立や歩行に困難を伴うことが認められるから原告の現在ないし将来感受すべき精神上肉体上の苦痛は甚大なものであるというべく、原被告等の資産、年令等諸般の事情を綜合するときは、原告が本件傷害により蒙つた精神上肉体上の苦痛に対する慰藉料は金一五万円をもつて相当と認める。

七、従つて原告の蒙つた損害は物的損害金一七万二、六八八円慰藉料金一五万円合計金三二万二、六八八円となるところ本件事故発生については原告にも前記認定のような過失があるからこれを斟酌するときは被告等の各自賠償すべき物的及び精神的損害額は右計金二八万円をもつて相当と認める。

しかるところ原告が既に金一三万円の賠償金を受領したことはその自認するところであるから被告等は各自原告に対し残額金一五万円及びこれに対する本件事故発生後の昭和三五年五月一七日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務あるものといはねばならない。

よつて原告の本訴請求は右認定の限度においては理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大賀遼作 浜田治 原田三郎)

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